写真と文具

写真多め、文具ほどほど

2回目。


尾道 猫たち

先日、2回目の「この世界の片隅に」を見て来た。

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)



年始1/3に1回目を観賞し、その後原作を読み、友人に紹介してもらった町山智弘の映画その他無駄話での解説を聞き、そして2回目を1/12に観賞。

tomomachi.stores.jp

何度見てもいい作品だと思う。何度も見れば前回気づかなかった点に気づけたりする映画なんじゃないかと。

時代背景を詳しく知ってから見たらこうの史代さんが細かいところまで当時のことを書いていることも分かるんだろうな。
そこの部分は上記の町山さんが解説してくださっている。


「戦時中に普通に生きていた人の生活をだらだらと書きました。(原作あとがきより)」とあるようにフォーカスをあてられているのは戦争をしている軍人ではなく一市民。幼少の頃からぼーっとしている"すず"が一度だけ会ったことがある(しかも覚えていない)周作さんの元へ嫁ぐことになる。いやだったらことわればいいといわれてもいやかどうかもわからんし・・・


いつもぼーっとしているマイペースなすずなので何も気にしない、気にしていなさそうだが、見知らぬ土地、怖い姉などストレスを溜めて円形脱毛症を作るシーンは妙に生々しく描かれている、しかし戦争があるからではない。戦時中の生活の工夫や大変さも伝えるしもちろん戦争の悲惨さも表現されているが全てがつらいわけではなく、戦争が普通に根付き、それは生活の一部分として、楽しく生きようとしているすず達が描かれていた。


印象に残っているシーンといえば、野草を拾ってきて工夫して作ったり、楠公飯を作っているすずの描かれ方が本当に楽しそうに描写されている所だ。のんさんの口調もすごくしっくりくるような感じですごく良かった。
一見戦時中には見えない描写が、普通に生きていた人の生活として書かれているが、そんな日常の中で、大和の説明があったり、配給がどんどん制限されていったりやはり根付いていく。
お義母さんの、「兵隊さんにとられていくことがあんなに大々的なイベントのようだったころが懐かしい(少しうろ覚え)」セリフでも表現されている。


そこまで普通の生活を送ろうとしてもきびしく悲惨なことが起こる。最後の一人まで戦う気でいたすずにとっての終戦はあのようなものになるんだ。と。

「ぼーっと何も考えない私で、何も知らない私でずっといたかった。」


りんさんの部分に関しては原作でもっと掘り下げられている。

後もう一つ、1回目では何が描かれているのかさっぱりわかっていなかったのだが、りんさんの描写はもう一つエンディングの後のクラウドファンディングのお礼の赤ペンで書かれたマンガでも紹介されている。あれは原作読まないとわからないだろうなーと2回目にしみじみと思いながら見ていた。


もっと書くべき描写があると思うが2回見て感じた描写が以上のようになると思う。


1回目では気づかなかったこと、印象に残った場面 その他

急に口紅の登場、なんどかでてくる猫、鬼いちゃんの正体(無人島のひげもじゃもじゃ)、わらじを作るところでさりげなく笑いを、広島の回覧板が飛んで来ていたこと、この世界の片隅に私を見つけてくれてありがとう、戦闘機が大和を撮影しに来ている描写、お風呂、お義父さんが寝てしまう描写(原作では2コマほど)、水原さんが水兵になってから会いに来た頃人が変わったようだったのは、普通のすずともう普通ではなくなった自分の対比なのかな?



深く掘り下げてみた(みれたかな?)
今年は作品を深く掘り下げられたらいいな。
aotataoa.hatenablog.com